20歳・無職・時々旅人

20歳で無職な管理人「俺」が、時々している旅を永遠にしていくには?その他感じた事を書いてます。

あるカフェで、世の中の仕組みが間違っている事に気付いた。

 俺は今、カフェにいる。 目の前にあるのは、290円のオレンジジュースだ。 

そして、パソコンを開いている人・本や新聞を読んでいる人・おしゃべりをしている人。 カフェで見かける、いたって普通の光景。

 ただ、1つ違う事があった。 それは、従業員だ。

 そのカフェの名前をださせて貰うと、「ほっとはーと」という。 最初何が、ほっとはーとなんだ?と思っていたけど、入ってみてわかった。

 従業員に、ハンディキャップを負った人たちが働いていた。 俺は、いたって普通に「オレンジジュースを下さい。」と言って、290円払いイスに座ってる子の文を書いている。

 俺は、自分なりに普通にしたつもりだった。 いつも通り。 恐らく、俺以外の人達もそうしたに違いない。 だから、俺たちはここに座っている。

 でも、俺の心の中で何か変だと思った。 「なんで普通にしたんだろう?」と。
 ここで誤解しないで欲しいのは、ハンディキャップを負った人だから、特別優しくした。とか もっと軽蔑したらよかった。とかそんな事は決して言いたくは無い。という事。 

俺が言いたいのは、「普通にした」となぜ気持ちがそう思ったか?という事だ。 ハンディキャップや障がいは、「特徴だ」と言う人がいる。 

さて、ここで聞きたい。 何を持って「特徴」と言っているのだろうか。 ”普通の人と違うから。とか、普通の人に無いものを持っている、これは特徴なんだ。” と言っているように、俺には聞こえる。

 だから、俺たちは「普通」に接して、「普通」にしている。
 俺は、この考えは間違っていると思う。 みんな、誰もが「”そういった人達”には、優しくしなさい。普通に接する事が、1番よ。」と習ってきた。 

そういうのもあって、俺たちは普通にしている。 こういった考えを、心の根底に持ちながら。 

俺は、この仕組み自体が間違ってる、と言いたい。 そう教えた人は、”そういった人達”と”自分達”を区別しているから、そういった教えをしているんだ。

 元から、人間ってもんはみんな違っているから。 これを読んでいる人、隣を見て欲しい。 隣の人は、同じ顔をして、同じ考えを持っているだろうか? 1人で読んでいても、頭の中で考えて欲しい、他人が自分と同じか、どうかを。

 根底には、違った人。と見ているから「普通に接しなさい。」なんて言葉が言えるんだ。 と、俺は思う。 

解決策なんて、俺にはわからない。 ただ、この今の気持ちを書き残したかっただけなんだ。 俺達が根底に思っている、その仕組み自体に問題がある。 

 「何、たかが20歳の分際で!」とか、どうでもいいやろ。 俺のブログは今の段階では、誰にも見られていない。 見られるようになった、としても自分が書きたい事を書くのか、ブログじゃないだろうか。 

 最後に、みんなが違っていても、オレンジジュースはいつもの様に美味しい。