あるカフェで、世の中の仕組みが間違っている事に気付いた。
俺は今、カフェにいる。
目の前にあるのは、290円のオレンジジュースだ。
そして、パソコンを開いている人・本や新聞を読んでいる人・おしゃべりをしている人。
カフェで見かける、いたって普通の光景。
ただ、1つ違う事があった。
それは、従業員だ。
そのカフェの名前をださせて貰うと、「ほっとはーと」という。
最初何が、ほっとはーとなんだ?と思っていたけど、入ってみてわかった。
従業員に、ハンディキャップを負った人たちが働いていた。
俺は、いたって普通に「オレンジジュースを下さい。」と言って、290円払いイスに座ってる子の文を書いている。
俺は、自分なりに普通にしたつもりだった。
いつも通り。
恐らく、俺以外の人達もそうしたに違いない。
だから、俺たちはここに座っている。
でも、俺の心の中で何か変だと思った。
「なんで普通にしたんだろう?」と。
ここで誤解しないで欲しいのは、ハンディキャップを負った人だから、特別優しくした。とか
もっと軽蔑したらよかった。とかそんな事は決して言いたくは無い。という事。
俺が言いたいのは、「普通にした」となぜ気持ちがそう思ったか?という事だ。
ハンディキャップや障がいは、「特徴だ」と言う人がいる。
さて、ここで聞きたい。
何を持って「特徴」と言っているのだろうか。
”普通の人と違うから。とか、普通の人に無いものを持っている、これは特徴なんだ。”
と言っているように、俺には聞こえる。
だから、俺たちは「普通」に接して、「普通」にしている。
俺は、この考えは間違っていると思う。
みんな、誰もが「”そういった人達”には、優しくしなさい。普通に接する事が、1番よ。」と習ってきた。
そういうのもあって、俺たちは普通にしている。
こういった考えを、心の根底に持ちながら。
俺は、この仕組み自体が間違ってる、と言いたい。
そう教えた人は、”そういった人達”と”自分達”を区別しているから、そういった教えをしているんだ。
元から、人間ってもんはみんな違っているから。
これを読んでいる人、隣を見て欲しい。
隣の人は、同じ顔をして、同じ考えを持っているだろうか?
1人で読んでいても、頭の中で考えて欲しい、他人が自分と同じか、どうかを。
根底には、違った人。と見ているから「普通に接しなさい。」なんて言葉が言えるんだ。
と、俺は思う。
解決策なんて、俺にはわからない。
ただ、この今の気持ちを書き残したかっただけなんだ。
俺達が根底に思っている、その仕組み自体に問題がある。
「何、たかが20歳の分際で!」とか、どうでもいいやろ。
俺のブログは今の段階では、誰にも見られていない。
見られるようになった、としても自分が書きたい事を書くのか、ブログじゃないだろうか。
最後に、みんなが違っていても、オレンジジュースはいつもの様に美味しい。